日系アメリカ人の歴史と文化

日系アメリカ人はポートランドの歴史において重要な位置を占めています。

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このセクションはアジア系のコミュニティ新聞The Asian Reporterと共同で執筆されました。

日系アメリカ人の歴史

最初の日本からの移民がオレゴンに着いたのは1890年代のことでした。その多くはよりよい仕事を求めて夢を持って海を渡った若い農民たちでした。ところが現実は厳しいものでした。彼らは鉄道建設や缶詰工場や農場といった労働に携わりましたが、その過酷さにも関わらず、彼らが受け取った労働賃金はわずかなものでした。富を築いて故郷へ錦を飾る夢は敗れ去っていったのです。

彼らの多くはポートランドに腰を据えて新しい人生を始めることにしました。1900年までにはオレゴン州には約2600人の日系人が居住し、その約半数が今のオールドタウン・チャイナタウンにあった「二ホンマチ」に住んでいました。ニホンマチの日系人はサービス業に携わっていた人が多く、中には商店やレストランを起業する人たちもいました。また、ポートランドの東にあるフッドリバー・ヴァレーで農業をする人たちもいました。1920年にはフッドリバーでのイチゴ生産量の75%が日系人によるものでした。

1940年までには、ニホンマチは6~8ブロックを占めるまでに広がり、100以上の商店で栄えていました。日系人はここで日常の買い物をしたり医者にかかったりすることができ、銀行や法律事務所などもそろっていました。ここが日系コミュニティのよりどころとなっていたのです。

ところが太平洋戦争が始まって間もなくの1942年2月19日に、このコミュニティは突然解体せざるを得なくなりました。フランクリン・ルーズベルト大統領が大統領令9066号を発令し、何千人もの日系人が立ち退きにあい、日系人強制収容が始まったのです。日系人はポートランド市北部にある家畜市場を改装した集合所(今のエクスポセンター)に集められ、各地の日系人強制収容キャンプへ送られました。

1945年の終戦後、日系アメリカ人は元の住居への帰還が許されましたが、ニホンマチに戻った彼らを迎えたのは、空っぽになった家や商店でした。それでも強い精神を持った日系一世たちの精神を引き継ぎ、日系人コミュニティは精いっぱい働いて元の繁栄を取り戻し、日本の文化や伝統をこの地域にもたらしてきたのです。ポートランドの日系人社会は過去の不正義を忘れることはありませんでしたが、コミュニティを立て直し、ポートランド市全体の繁栄にとって重要な位置を占めてきました。

1958年にはポートランド市と札幌市が姉妹都市として提携、ポートランド・札幌姉妹都市協会ができ、ポートランドで日本関連の催しを数多く開催しています。この姉妹都市関係は米国でも最も歴史のあるもののひとつです。特にこの関係から生まれた「ポートランド日本庭園」はよく知られており、1967年に開園以来、多くの人々を魅了してきました。今では毎年20万人以上の入場者を集める観光名所となっています。

ポートランドの日系人で最も著名な市民のひとりが、実業家であり市民活動家でもあったビル・内藤氏でした。同氏はポートランド生まれの日系2世で、戦時中は日系人立ち退きを経験しています。戦後収容キャンプから戻ってからは、ポートランドを今のかたちに築き上げた立役者の一人として活躍しました。当時は郊外での開発が進み、街の中心部は荒れる傾向にありましたが、彼は中心部の空き地や古い空き家を買い取り、短期間のうちに修復していったのです。内藤氏は「オールドタウン」という地区名を考え出したと言われています。それによって当時「スキッドロウ」と呼ばれ治安の悪いイメージのあったこの地区の印象を変え、「オールドタウン」の名前を広めるために、建物の屋上にある給水塔に大きくOLD TOWNと記したのです。この給水塔は、バーンサイド橋のたもとの有名な「Portland Oregon」のネオンサインの横に今も見ることができます。彼はまた、1970年代にライトレールの導入に力を入れて1986年のMAXライトレール開業に尽力しました。1996年、内藤氏の死後、市は彼の貢献をたたえて、当時のフロント・アベニューを「Naito Parkway(ネイトー・パークウェイ)」と改名しました。Naito Parkwayは内藤氏が保存に尽力した歴史的地区を通りウォーターフロント・パークを沿って走っています。

オレゴン日系レガシーセンターJapanese American Museum of Oregonでは、オレゴン州の日系人の歴史について学ぶことができます。このミュージアムではオレゴン州の日系移民一世の暮らしやニホンマチ、戦中の収容キャンプの様子などが再現された展示のほか、文化イベントや講演も開催しています。

日系アメリカ人の文化と関連団体

日系アメリカ人歴史広場とフレンドシップサークル
Japanese American Historical Plaza and Friendship Circle

ウォーターフロントパークの北にある日系アメリカ人歴史広場Japanese American Historical Plazaには日系アメリカ人の歴史を象徴する石の彫刻作品が並びます。フレンドシップサークルは札幌市との姉妹都市関係30周年を記念して作られた「歌う」ステンレスの塔で、その周りには100本の桜の木が植えられています。オレゴン日系レガシーセンターがガイドツアーを開催しています。

ポートランド日本庭園
Portland Japanese Garden

日本国外では最も本格的と言われている日本庭園Japanese Garden。豊かな緑に囲まれて静かな時を過ごすことができます。

ポートランド太鼓
Portland Taiko

ポートランド太鼓Portland Taikoはアジア系アメリカ人が中心となった太鼓グループ。1994年の創立以来、フェスティバルなどのイベント参加や定期公演を開催し、積極的に活躍しています。

オレゴン日米協会 Japan-America Society of Oregon

オレゴン日米協会Japan-America Society of Oregonは日米のビジネス、教育、文化交流とで、オレゴン州と日本の人々との相互理解を深めることを目的とした会員制団体です。

日系関連イベント

1月JANUARY

餅つき Mochitsuki

The annual Mochitsuki Japanese New Year celebration features the ceremonial pounding of steamed rice into mochi, a traditional snack that symbolizes starting the new year with abundance. The festival also includes Japanese food, activities, performances and a cultural fair.

餅つきは日本のお正月を祝う日系コミュニティイベント。餅つきの他にも様々な文化パフォーマンスが披露されます。

お正月O-Shogatsu

ポートランド日本庭園で開催されるお正月イベント。書初めなどのデモンストレーション。

新年会Shinnenkai

オレゴン日米協会が開催する新年会

2月FEBRUARY

追憶の日Day of Remembrance

第2次世界大戦中に強制収容キャンプに入れられた12万人の日系人の歴史を追憶する日。日系レガシーセンター主催。

3月MARCH


ひな祭りHina Matsuri

ポートランド日本庭園で開催されるひな祭り。ひな人形の展示などの他、日本文化の催し。

小原流いけばな展Ohara Ikebana Exhibit

盛花を中心とした小原流のいけばなの展示。ポートランド日本庭園が会場。

5月MAY

こどもの日Kodomo no Hi

こいのぼりや太鼓の演奏、クラフトなど、こどもの日の行事。ポートランド日本庭園が会場。

6月JUNE

サケフェストPDX Saké Fest PDX

日本酒の伝統を伝えるとともに、パシフィック・ノースウエスト流の楽しみ方も学べる酒イベント。オレゴン日米協会のファンドレイジングイベントでもある。This 7月

7月JULY

七夕Tanabata

ポートランド日本庭園で開催される七夕行事では短冊に願い事を書いて笹につるします。

夏祭りFestival Japan

This annual festival, held at Uwajimaya grocery store in Beaverton, features performances, martial arts, Japanese children’s games, a silent auction, eating contests and more.

ポートランドの郊外ビーバートンにある日系スーパー宇和島屋が会場の夏祭り。日系の道場のパフォーマンスや屋台など。

8月AUGUST

盆祭りObon Festival

盆踊りや太鼓、食べ物の屋台が出る盆の行事。オレゴン仏教界の寺Oregon Buddhist Templeが会場。

12月DECEMBER

折り紙ワークショップ Origami Workshop

在ポートランド領事事務所のボランティアが折り紙を教えるワークショップ。子どもも